一次に合格。

 

最近、対策の合間を縫ってお笑い動画を見ている。明石家さんまの最近のレギュラー番組、向上委員会。

 

明石家さんまの姿を見てると、「さんま政権」という言葉が浮かんでくる。

さんまといえばお笑いBig3の一角であるが、彼らを比較すると、2014年のいいとも終了を分水嶺タモリ・たけしとさんまの間には大きな性質の違いが生じている。

 

カノッサの屈辱的に言えば、

1990年代までに「お笑い三頭政治」最盛期を迎えたが、2010年代後半に三頭政治は終焉。さんまのみが帝政を敷くこととなったといったところか。

現実戻り

中堅・若手芸人との一線級の絡みができるのはさんまのみ。

そして、さんまは中堅・若手に対してはお笑いの首相といってもいい地位に見える。

いつ引退するのか。

 

帰還

 久々に大学に戻ると、僅か2週間のことなのにとても懐かしい気持ちになっていた。

 午前中は残務処理と化した教職系の講義に出席し、午後は適当に過ごした。

 食堂の日替夕食メニューを平らげると、自然に新二号館へと足を運んでいた。12月以来幾度となく居残りをした新二号館である。

 懐かしい。

3Fの長い廊下を歩きながら、私が少しセンチメンタルな心地になっていた。何故なら、ここには思い出があるが、あいつらはいない。

一次試験前に「戦友」たちとは、一応の解散を決めたような感覚であって、彼らはここにはいない....

 

....はずだった。

 

2週間ぶりに扉を開いた目の前には、共に行政職に挑んだ大山(仮名)の姿だった。私はすごく安心した。大学の慣れ親しんだ居場所を取り戻した心地がしたのだった。

大山は残念ながら一次の通過はならなかったようであるが、9月の採用試験に挑むつもりらしく、勉強を続けていた。

 

彼はまだまだやる。私も繋いだチャンスを逃さない。頑張ろう。

負け犬の遠吠え

自治体の採用試験を受け

帰宅したのち、半年ぶりに飲酒した。

 

我が家で飲むと言うのは実に虚しい。

私の実家は父を中心に病んでいる。

彼らの会話は常に後ろ向きで、人の可能性というものを前向きも捉えようとしない。敗者特有の負け犬根性が染み付いているのである。

働きもせず、学ぼうともしない人が世の中のことを語ろうと、ましてやどんなにコネクション(?)の存在を盾に自分の不遇を説明しようとも、単に能力が低く、それを乗り越えようともしなかった不作為の言い訳にはなりはしない。

彼らは努力したのかも知れない。しかし、同じ世代の誰よりもしょっぱい思いをし、全てを否定したがっている。成功したやつの努力は、運という変数を声高に叫んで否定し、自らの失敗は棚にあげる。

もっとも人間らしい。人間らしいけれど、成長する人間や繁栄しようとする集団にとって、この「敗者思想」は有害である。なぜなら、実経験に基づくこと何で、真理ではあるからだ。経験という真理を否定することはできない。

努力をしない人間はそれでいい。しかし、努力する人を否定する人間には断じてなってはならない。

 

敗者の言い訳を一通り聞き、私は耳を貸すのをやめた。自分自身が彼らのようにならないために。

 

彼らと私から始まる一族は違う。

私の一族は世のために人のために動き、幸福を追求できる。前向きに人の幸福を願い、手を差し伸べることのできる。そういう人間を生み出せる家庭にしなければならない。

それを実現する為に、私はまず、高収入とならねばいけないだろう。

子どもに教育と心許せる友人を提供するために。

もちろん、現在までに私を営々と育ててくださった本家への尊敬と感謝の気持ちは忘れない。ただ、真似はしない。

努力を尊び、繁栄を共に享受するための新たな一族を私は築いていくだろう。

富山市役所展望塔「夜景も見える」

富山市役所展望塔に行ってきました。

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....昔は真夏でも空調一つつけず、午後6時頃には営業終了。見事なお役所仕事っぷりを見せつけていたような気がする展望塔ですが....(幼少の頃のことなので、誤解はご容赦)

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現在は午後9時まで(4月から11月)

夜景も楽しめる展望塔へ。

 

さらに室内は空調が効いて、とても涼しい。過ごすやすい状況になっていました!

 

デート❤️などにいかがですか?

 

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 富山の薬売り。

ではまた。

電鉄魚津駅前-かつての中心市街地を歩く

富山地方鉄道・電鉄魚津駅

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電鉄富山駅から宇奈月温泉行きの普通列車で約40分。降り立ったホームは高架式で周囲のどの建物よりも高く感じられる。

駅舎はこじんまりとしているが、まだ新しい。階段を降りると、寂しい駅前が広がっていた。

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電鉄魚津駅にはかつて、4階建てのデパートを併設する近代的な駅ビルが建っていた。1967年に完成した「電鉄魚津駅ステーションデパート」には喫茶店や服飾店も揃い、魚津の中心市街地の象徴であったようだ。

開業の約10年前には「魚津大火(1956年)」が発生しており、地元にとっては復興の起爆剤としての役割も期待されたのかもしれない。

しかし、高度経済成長期、モータリゼーションの進展や郊外商業店舗の開業により、徐々に寂れ、1998年には閉店。

以後、商店は閉鎖され、高架ホームと地上との接続の為、純粋に駅舎としての活用が図られてきた。それも2013年までで、ついに解体。現在の駅舎となったようだ。

賑わいの中心は現在の魚津駅に移った。

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旧市街との呼び声も高い電鉄魚津駅周辺は、魚津城跡や埋没林博物館もある。寂れた街並みを求める人には楽しいかも知れない。

座商店街

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新宿商店街脇の盛り場跡。

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 既に廃墟と化しており、不法侵入を厳禁とする看板が注意喚起をしていた。建物自体は、在りし日の繁栄を伺わせるに十分すぎる趣がある。

 

魚津埋没林博物館。

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魚津には、埋没林と呼ばれる天然記念物がある。太古の昔、沿岸まで存在していた杉の原生林が海の底に沈んでしまった。1930年代に、魚津港開港工事で発掘が行われ、天然記念物として保護された。戦後には地方博覧会のサテライト会場となり、現在の博物館施設が設けられたそうだ。

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水中保存は独特の存在感がある。

何時間も眺めたいものでもないし、特別みたいものでもない。まあ、見て悪いと言うものでもない。

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魚津の海。

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久しぶりに海を眺めた。少し曇り気味であるがいい海岸線だと思った。f:id:heisei29:20170704121232j:image

道の駅も整備。

観光地料金であるが、新鮮な生牡蠣なども味わえる。

魚津駅前のバス乗り場

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魚津市では市内主要箇所を結ぶバス路線が運行されている。大人200円(一律)

マスコットキャラが可愛い。

 

建築もおしゃれな「ありそドーム」

日本最古の「魚津水族館

こじんまりかわい「ミラージュランド

などなど....を結ぶ。

 

魚津駅前は、ホテルや歓楽街など、それなりに発展している。中心市街地、旧市街、漁港、それぞれに味わい深いまちでした!

 

 

言葉と恩師

6月も20回目の晩を迎えようとしている。

ここ数日は梅雨らしくない天候に恵まれ暑さに耐える日々だったが、先ほどから雨音が聞こえている。ベランダにある洗濯物を収容した。

 

 先日から過去問演習を1日160問ペースで実施しているが、昨日あたりで心が折れてしまい、本日は80問程度で終えた。しかし、量の増大が効果を及ぼす最適期は昨年6月だったのではないかと今さらながらに思う。まさに「後悔先に立たず」である。

 そういっている間に問題を解けといわれるだろう。

 先ほどから2時間ほど、「銀河英雄伝説」の二次創作を読むのに耽ってしまっていた。銀英伝といえば、私の中学時代、実は高校時代の友人が好んで読んでいたのを覚えている。彼が私にその魅力を押し付けることは無かったが、彼から進められた私は「よくわからない」と突き放し、逆にエヴァの魅力を語っていた。実に押しつけがましく、うざったい姿だったことだろう…

 しばしの現実逃避ののちに、私はキーボードをたたき始めた。銀河英雄伝説に登場する現実離れした英雄たちの姿に勇気づけられることは無かったが、読んでいてしばしば見失っていた自分というモノが返ってきたように思う。それは、登場人物が綴った日記を紐解く形式の展開であった。日記。その人の思いが刻まれた文章である。

 厚顔無恥でもいい、とにかく文章を書く。この風習を忘れてしまえば、やはり私は自分を見失ってしまった。中学時代は一日何時間もキーボードと向かい、中学時代のくだらない日常を綴り、特に興味もないであろう人々に向かって公開していた。それは恥ずかしくもあり、楽しくもあった。毎日が、数百ページの法学の問題と、グラフと、奇妙な数式を前にし、気が付けば机の上で伏して寝る今を思えば、本当に楽しかった。

 あの頃の自分にいうことは、その楽しみを忘れないでくれということだ。

無理に運動をして、いや、確かにそれはいい人々との出会いになった。

力も付いた。自信にもつながったし、新たな挫折にもつながった。だが、そういうときも、できれば日記を書き続けておくべきだったとね。

 あと数日ではある。今ここで文章を書き、再び自分を見つけた。

今からまた、数百問を倒す。2日後には、最終面接もある。神よ、私を有益なものにしてくれないだろうか。そう問いかけたとき、常に浮かぶのは高校時代の教師の口にすることわざだ。

 Heven helps those who help themselves

天は自ら助けるものを助ける。だったか。彼の3年間の英語の授業で、唯一頭に残った一文はこれだ。試験で6割しか取れなかったようなクズの脳裏には、この言葉をとどめるので精いっぱいだった。

 何気にこの言葉は、頭に浮かぶ頻度が高い。センター試験でも浮かんで、いくらかの問題を邪魔したし、何なら国専官試験でも浮かんでいた。ここぞというとき、この言葉に心を逆なでされるし、試験前には戒めの言葉としても機能する。

 無宗教団体者(信仰団体は意識しない)ではあるが、神の存在は、こう思うときに確実に存在しているのだとは思う。座右の銘にはしたくないものだが…

 思えば高校時代の教員の言葉で印象深いのはこの人だが、もう一人、中学時代の教員の言葉で印象深いものがあり「私のゆく道迷い道くねくね、でも自分の道を信じて歩き続ければ必ず夢の頂に届くのです」等という言葉も心に残っている。あれは、生徒指導の教員だったか。あの時、二重三重も不祥事をおかし、死のうかなあと思っていたときに、この言葉を書いた色紙を手渡されて、思いっきり奮起した。いまでも、くじけそうなときは先の英文とともに脳裏に浮かぶ。ゴールを目指すときに、これほど心を保つ言葉は、今のところこれら以外には浮かばないだろう。

 私の中で恩師とは、決して向こうが意識して、信頼しあう関係ではない。常に逃向こうの信頼を失い、相手にされなくなるか。あるいは、私のほうから離れてしまう。左の定義では、私には誰一人恩師はいないかも知れぬ。しかし、それでもいつまでも心に残る名言を残せる存在が、まさしく恩師なのではないだろうか。借りてきた言葉であろうとなかろうと、それを与えてくれる存在がいてくれたことがまさに自分自身の幸運であり、大切な資源だろう。

 ちなみに、中学時代の「恩師」は、今年引退だそうだ。昨年、教育実習のご挨拶に訪問した際に、引退の旨を伝えられた。私は先の色紙のことが心に残っており、立ち去る際に万感の思いを込めて、感謝の言葉を伝えておいた。どこまでお心に残っておられたかは定かではないが、とにかく気持ちを伝えなくては後悔するとの思いがあったからだ。今年はいないはず。しかし、私も短い間でもいいが、子どもたちに良い影響を与える人間としてその場に存在してみたいと思う。

 あと数日。それを超えたら実習だ。頑張ろう。まだまだ人生は長い。