働くとは

 先日、大学のキャリア室にて、様々厳しい言葉を受けた。(と認識している)

あの部屋の人々は、具体的な成果物をもって、それを基盤に話さなければ単なる説教となるあたりはどうにかしたほうがいいと思われる。しかし、部屋の役割はそういったものだ。文章、思考、行動、あらゆる点で主観的にならざるを得ない学生に対して、客観的な視点を与えることこそが彼らの役割であるとともに、私らも客観的な視点を彼らに求め、あの部屋を訪ねているのだから。

 当日の私は、まさしく「根拠ない驕り」「甘え」等といった俗物の極致を体現する様態で、まさしく就活生の「クズ」といった趣であった。初登場した相談員を前に、割合無表情で、なぜかふてくされた態度であった。「そういった意見もありますよね」などといった心境で、話半分に言葉を聞くだけだった。

 しかし、ただ一つだけ印象的だった問いかけが「あなたにとって働くとは何ですか」この質問は、初の内定先の最終面接でも受けたものだった。その時の私の答えは「仲間とともに活躍し、自立して生きていくこと」などとと答えた。続けて、「私が働く理由は、仲間とともに成果を出して、自分自身豊か生きていくこと」と伝えて内定を頂いた。この意見が受け入れられたのかはわからない。しかし、生きるためには働くことが大きな要件であると、自覚しているのは事実である。このときのことを思い出して、さらに過去のことに思い至った。

 実はこの質問は、昨年の10月にも受けたことがある。当時はまだ3年生で就職準備の総仕上げの時期であったろうか。学内で開催されたある化学業界最大手の企業の説明会に参加した。わずか7人という少人数で、1人ずつ質問を受ける場面もあった。

 「あなたが働く理由は何ですか?」

 この質問に対する私の答えは「次の段階に進まなければならないから」であった。そして、この答えに対する人事担当者の返答は「測定不能」であった。

 実はこのときは「就活解禁前」であったこともあり、この担当者は質問の意図をわかりやすく解説してくれた。この担当者が論理の枠としたのは、心理学者マズローの「五段階欲求説」であった。これによると人間の欲求は、最も低次である「生理的欲求」に始まり、最終的には「自己実現」に至るものであった。人は、この欲求に従い生きていくことで、人間らしい生き方を遂げることができるというのがこの説の要旨だった。そして、この担当者が述べたことによると、「働く理由」を尋ね、得られる答えをもって、この欲求に合わせてその学生がどういう段階にあるかを分析することができるそうだ。

 わかりやすく、学歴を指標にすると、

 京都大学の学生は「自己実現」の段階、すなわち最上位を突いてくる。このついてくるというのは、たとえば「社会貢献」が言葉だけでなく、続く質問で具体的な意味・内容まで示すことができ、人事を納得させられる場合である。このような学生を多くとることは、組織の安定感や発達につながるが、残念ながらステップアップの過程で企業を去ることも多い。上から第二段階、「承認・尊敬の欲求」の学生も、上位大学に多い。しかし、この場合も失敗や昇進の問題で去っていくこともある。

 この優秀すぎて去っていく、というのがくだんの担当者が所属する大企業の人事部にとって大きな課題であるとのこと。そして、すべてこういった学生を選ぶこともできるが、それでは危険。少しは、第三段階の学生を取ることで、組織の持続可能性を補強できるのではないかとの発想があった。すなわち私大に多いのは、所属と愛の欲求。何らかの組織に身を置きたい。と望み、割合組織にとっていい影響をもたらす。また、優秀さの上限が企業にとって都合よく、決して簡単には去ろうとしない。まさに安定的な人材を企業は数人求めているそうだ

 このように、「あなたは何のために働くのか」という質疑をもって、自身が欲求階層のどの段階にあるかといった見方で自己分析をすることも、決して無駄ではないと考える。もちろん、指標を「絶対的」にとらえると、これまた発言に人間味が失われ魅力がなくなるが、少し考えを発露してみて、さーどうだろ。と見直してみたときにほんの少しでも意識したほうがいいのかもしれない。

 私の考えを分析すると、時折「安全の欲求」や「生理欲求」を押さえつつ、自己実現欲求に当たる答えを述べている。しかし、その自己実現欲求について、詳しく具体的に話すところに難を抱えているというのが現状ではないだろうか。

 私は思うに、これら五段階の要素をうまくおさえた答えができれば、悪い結果になることはないのではと思っている。なぜなら、真っ当な人間は下位段階の欲求を満たし、自己実現欲求に基づき生きているからだ。

企業の担当者が全てこの欲求説で面接試験に臨んでいるわけではないだろう。しかし、大きな企業の担当者が示した欲求説に基づく分析は、大変参考になったと思う。

 何はともあれ、明日の面接の準備を進めていく。

土曜日

0513

 午前中は「憲法」と「行政法」をそれぞれ1時間ずつ、午後からは「民法」に取り組んだ。本日は頗る調子が悪い。というのも、月曜日に、民間企業の面接を控えており、その対策を行わねばならんかったからだ。

 結果として、60問あまりだった。

今週は、GW明けから1日100問余りに速記具を用いながら取り組み、本日までに500問以上は解いたであろうか。しかし、ブランク等もあり、厳しい。

 明日は面接向けの履歴書を完成させ、面接の練習も行う。

 

 本日は誰とも口をきかず、言葉を交わすことはなかった。

会話がしたい。金曜日の夜半、友人が自宅に来ていた。選考に難を抱え、傷心の私に対して、友人は既に内定を貰っていたようだった。私の初期の内定のことなどを話しつつも、やはりどうにも敗色濃厚な私の心理は透けて見えていたのではないかと思う。初期の戦術に勝利し、長期戦に負け、戦略にかける姿勢。どうにも曾祖父世代の日本軍を連想させる現状である。

 

 また、金曜日には大学の学業成績優秀者表彰式の案内を受けた。いくらか奨励金ももらえるようで有意義に使いたいところ。しかし、内定が出ないことにはなかなかもって遊びイケない。来週が踏ん張りどころだ…!

 

 

焦り

 一昨日、選考過程にあった信用金庫より選考結果の通知を受け、落選していたことが分かった。同金庫は、1月上旬よりインターンシップに参加するなど積極的な活動を進めていたが、第一次面談、二次の筆記試験での落選となった。

 今回の落選について、反省すべきことはまず第一に、志望動機並びに作文等に「具体的かつ客観的筆致」が不足していたことであろう。営利を目的としない地域金融である事実を前提に、利益や収益、実務等を考慮した具体的な文章が書けなかった。たとえば、事例として社会的起業家の支援を行うなどを提案してしまったことなどは、最たる例であろう。本事例に関して、具体的かつ収益性を明らかにした文章がなかったこと。

 第二に、筆記試験の不出来だ。同金庫の試験は午前8時から始まり、午後3時半に終了するなど、公務員試験に匹敵する長丁場であった。もちろん、このことも疲労感などに影響を及ぼした可能性は否定できないが、何よりもSPIや筆記試験での「数学・計算」の不出来が否定的評価につながったことが大きい。簡単な因数分解や濃度、速度等の文章題が得点できず、残念な結果となってしまった。この点につき、公務員試験の「数的処理」の不安にもつながるだろう。対策が必要といえる。

 最後に、根本的な要因としてではあるが、民間企業特に金融機関への消極的姿勢があげられる。自らの中で、志望度が低かったといえばウソとなり、そういえればここにこのような記事は書いていない。志望度は高いものであった。民間の内定も得なければ来年度以降の収入が期待できないという状況において、信金などは絶対に内定を取らなければならなかった。だが、こうした考え方はいかにも「甘え」である。「公務員講座や試験勉強を数時間やってるから民間に十分なリソースは回せない。」この思考はまさしく公務員への努力を、民間就活への担保とする大きな誤りといえはしないだろうか。

 公務員に受かれば、確かに民間就活における失敗はすべて相殺されるだろう。だが、失敗したときに何をもって生計を立てるのか、大きな博打状態に陥っている。私に今求められることは来年を生きるための努力である。すなわち就職活動でここまで進んでいる選考を内定に結びつけることだ。決して、公務員への今現在の努力をもって、落ちた言い訳、やらない言い訳とすることはすべきではない。公務員を10時間やったらならば、民間を10時間やる。この姿勢を再び明確に実行していかなければ、それこそ路頭に迷い、自らを秋の風に揺れる振り子となる未来が待つのみである。

 6月末までには現状のすべての企業の内定を取り、25日までは生き続ける。

死ぬのならば、6月25日が終わってからにしよう。と自らに言い聞かせ、今日も判断推理の問題を解く。