焦り

 一昨日、選考過程にあった信用金庫より選考結果の通知を受け、落選していたことが分かった。同金庫は、1月上旬よりインターンシップに参加するなど積極的な活動を進めていたが、第一次面談、二次の筆記試験での落選となった。

 今回の落選について、反省すべきことはまず第一に、志望動機並びに作文等に「具体的かつ客観的筆致」が不足していたことであろう。営利を目的としない地域金融である事実を前提に、利益や収益、実務等を考慮した具体的な文章が書けなかった。たとえば、事例として社会的起業家の支援を行うなどを提案してしまったことなどは、最たる例であろう。本事例に関して、具体的かつ収益性を明らかにした文章がなかったこと。

 第二に、筆記試験の不出来だ。同金庫の試験は午前8時から始まり、午後3時半に終了するなど、公務員試験に匹敵する長丁場であった。もちろん、このことも疲労感などに影響を及ぼした可能性は否定できないが、何よりもSPIや筆記試験での「数学・計算」の不出来が否定的評価につながったことが大きい。簡単な因数分解や濃度、速度等の文章題が得点できず、残念な結果となってしまった。この点につき、公務員試験の「数的処理」の不安にもつながるだろう。対策が必要といえる。

 最後に、根本的な要因としてではあるが、民間企業特に金融機関への消極的姿勢があげられる。自らの中で、志望度が低かったといえばウソとなり、そういえればここにこのような記事は書いていない。志望度は高いものであった。民間の内定も得なければ来年度以降の収入が期待できないという状況において、信金などは絶対に内定を取らなければならなかった。だが、こうした考え方はいかにも「甘え」である。「公務員講座や試験勉強を数時間やってるから民間に十分なリソースは回せない。」この思考はまさしく公務員への努力を、民間就活への担保とする大きな誤りといえはしないだろうか。

 公務員に受かれば、確かに民間就活における失敗はすべて相殺されるだろう。だが、失敗したときに何をもって生計を立てるのか、大きな博打状態に陥っている。私に今求められることは来年を生きるための努力である。すなわち就職活動でここまで進んでいる選考を内定に結びつけることだ。決して、公務員への今現在の努力をもって、落ちた言い訳、やらない言い訳とすることはすべきではない。公務員を10時間やったらならば、民間を10時間やる。この姿勢を再び明確に実行していかなければ、それこそ路頭に迷い、自らを秋の風に揺れる振り子となる未来が待つのみである。

 6月末までには現状のすべての企業の内定を取り、25日までは生き続ける。

死ぬのならば、6月25日が終わってからにしよう。と自らに言い聞かせ、今日も判断推理の問題を解く。