911同時多発テロ

911

 私がまだ「幼児」だったころの夜、この事件は起こった。幼心に父と母の寝床の合間で寝ようとしていた時に、父が「戦争が始まるかもしれない」と言っていたのがいまだに心に残っている。翌朝、地方紙の朝刊一面を見ると、青空に背を伸ばしたツインタワーが黒煙を上げる写真が掲載されていた。色鮮やかな青空と白いビルに、黒煙は印象深く脳裏に焼き付く。

 何気ない日常の、ごく普通の家庭においても「異質」な事態として映った。しかし、平凡な日常は続いていった。

 就活がうまくいかない今、自然と現実逃避に動画サイトをぶらついてしまうのは道理かもしれない。遺憾に思いつつも、しばらく鑑賞。そのようなときに突如関連動画に表示されたのが、この映像であった。

youtu.be

 私が寝るために父や母は、ブラウン管テレビをつけていなかったが、本来であればこのような映像が放映されていたのだろう。世界史上最もリアルタイムに共有された悲劇が、刻一刻と進展していく様はとても興味深い。

 911は、それまでのテロ事件とは別格ともいえる衝撃を与えた。リアルタイムで繰り広げられる惨劇の映像に、あらゆる人が感情を揺さぶられたことだろう。これまで起こりうるならば空想に過ぎないと思われていた描写が、現実に起こってしまった。この後のフィクションは、このリアリティとの戦いを強いられたのではないかとも思う。

 さても、このような悲劇の発生をもって、いろいろ思うところはあるだろうが、それに惹かれる私にとっては単なる仮想の現実過ぎないことは何たる皮肉であろうか。人々はどんなに衝撃を受けようとも、その衝撃は「パニック映画」を見ているときの興奮に類するものに過ぎない。さりとて映像の価値もそのようなものだろう。

 ただ言えることは、人が大勢死んでしまったという事実だけだ。

 欧米では「Post 9/11」と呼ばれる時代区分が用いられる。歴史学かはさておき、日本における「戦後」に類するような一般的な受け入れの一つとは思う。この出来事で冷戦後緩慢な世界は不安定な時代に遷移したことは疑いようがない。国民国家同士の緊張関係から起きる流血は、いよいよ民族、宗教という複雑にしてしかし潜在的であった要素からもたらされる必然へと変貌した。