雨上がりに蛙の鳴き声が聴こえる。

6月にふさわしき夜半を味わいながら、今日も将来を憂う。明日(厳密には本日)は志願書の提出日である。私はどうして教員になりたいのかをあと十数時間でまとめねばならない。

出さないという選択肢は何故か無い。

何故か。単刀直入に言えば、教員にもなりたいからだ。いくら否定しても、教員にならないという選択肢を諸手を挙げて掴み取る意思は持ち合わせない。では何故なりたいのか。

 今ここで素直な気持ちらしきものを言葉にすると、「使命」なのでは無いかと思っている。使命....すなわち任せられた任務を意味する言葉で、どこか天から与えられた役務と行った意味合いが大きい。要は、自分自身の意思や欲求を超えてそれでもやらねばならないことだと思われる。では何故教職を使命と捉えるか。それは、教員に受けた恩を、次の世代に伝えたいとの思いがあるからだ。

私が受けた恩は、人格形成だろう。

 中学時代の私は幼児的全能感に満ち溢れた文字どおりの中二病で、その時々の発達段階を、どこのネットから借りて来たのかわからないような言葉や文化で埋め合わせ、ひたすら成長から逃れんとしていた。結果、警察のお世話になるような不祥事を引き起こし、教員から厳しく叱られた。ある教員は、3たび過ちを繰り返す私を諦めがちに突き放すようになった。優等生気取りの問題児であった私は、真の問題児となり、ある種自分自身を見失う失意の日々を送るようになった。(この辺りが、私の小心者たる事例だ。一時は自殺も考え、日々ネクタイやらで首を絞めるのが毎晩の日課であった。一度、ネクタイがほどけず失神したこともあり、酸欠で脳の働きが弱った気がした。しかし、水泳の潜水は得意になった。)

 翌年に出会った担任は、ひたすら私を注意し、最後まで指導することを諦めなかった。事件以降、過度に自分自身の行動に気を使うようになり、自らを厳しく律する生活(オナニーは日課だったが)は息がつまるようであった。

 そうしたしんどさを抱えていた私の背中をことあるごとに押してくれたのは担任であった。坊主頭の痩せた数学教師は、どこか求道者にような眼差しで、我々を厳しく指導する。しかし、時折見せる笑顔や柔らかな表情は、未だに心に浮かんだ時、愛らしく魅力的な人物として懐かしさを覚える。

私への指導はまさに「諦めるな」の言葉に集約されていたと思う。わけのわからない行動で捕まり、自暴自棄になり掛けていた自分にとって、先生の三度でも繰り替えされる叱咤に、心の中では信頼を感じていた。前任者は4度めで突き放したが、この人はいつまでも諦めない。だから自分も諦めてはいけないのでは無いかと思うようになった。私はようやく、前向きに進路を考え、勉強するようになった。高校のランクは、期待されていたものから下がり、現実的なものとなっていた。私の年度からは公立高校授業料無償化が実施されることとなっており、是が非でも公立高校に進学する必要があった。そのため、確実に入れるところを求めたのだった。担任は、反対した。お前が入れるところに行くべきであって、妥協してでも絶対受かるとは違うぉのであると。

私は担任の説得で、合格先の高校を選んだ。この選択に後悔はなく、未だに担任には感謝している。

以上にような先生から受けた多大なる恩を次の世代に伝えられるように、教員になって、恩返ししたいと思うようになったのだ。