言葉と恩師

6月も20回目の晩を迎えようとしている。

ここ数日は梅雨らしくない天候に恵まれ暑さに耐える日々だったが、先ほどから雨音が聞こえている。ベランダにある洗濯物を収容した。

 

 先日から過去問演習を1日160問ペースで実施しているが、昨日あたりで心が折れてしまい、本日は80問程度で終えた。しかし、量の増大が効果を及ぼす最適期は昨年6月だったのではないかと今さらながらに思う。まさに「後悔先に立たず」である。

 そういっている間に問題を解けといわれるだろう。

 先ほどから2時間ほど、「銀河英雄伝説」の二次創作を読むのに耽ってしまっていた。銀英伝といえば、私の中学時代、実は高校時代の友人が好んで読んでいたのを覚えている。彼が私にその魅力を押し付けることは無かったが、彼から進められた私は「よくわからない」と突き放し、逆にエヴァの魅力を語っていた。実に押しつけがましく、うざったい姿だったことだろう…

 しばしの現実逃避ののちに、私はキーボードをたたき始めた。銀河英雄伝説に登場する現実離れした英雄たちの姿に勇気づけられることは無かったが、読んでいてしばしば見失っていた自分というモノが返ってきたように思う。それは、登場人物が綴った日記を紐解く形式の展開であった。日記。その人の思いが刻まれた文章である。

 厚顔無恥でもいい、とにかく文章を書く。この風習を忘れてしまえば、やはり私は自分を見失ってしまった。中学時代は一日何時間もキーボードと向かい、中学時代のくだらない日常を綴り、特に興味もないであろう人々に向かって公開していた。それは恥ずかしくもあり、楽しくもあった。毎日が、数百ページの法学の問題と、グラフと、奇妙な数式を前にし、気が付けば机の上で伏して寝る今を思えば、本当に楽しかった。

 あの頃の自分にいうことは、その楽しみを忘れないでくれということだ。

無理に運動をして、いや、確かにそれはいい人々との出会いになった。

力も付いた。自信にもつながったし、新たな挫折にもつながった。だが、そういうときも、できれば日記を書き続けておくべきだったとね。

 あと数日ではある。今ここで文章を書き、再び自分を見つけた。

今からまた、数百問を倒す。2日後には、最終面接もある。神よ、私を有益なものにしてくれないだろうか。そう問いかけたとき、常に浮かぶのは高校時代の教師の口にすることわざだ。

 Heven helps those who help themselves

天は自ら助けるものを助ける。だったか。彼の3年間の英語の授業で、唯一頭に残った一文はこれだ。試験で6割しか取れなかったようなクズの脳裏には、この言葉をとどめるので精いっぱいだった。

 何気にこの言葉は、頭に浮かぶ頻度が高い。センター試験でも浮かんで、いくらかの問題を邪魔したし、何なら国専官試験でも浮かんでいた。ここぞというとき、この言葉に心を逆なでされるし、試験前には戒めの言葉としても機能する。

 無宗教団体者(信仰団体は意識しない)ではあるが、神の存在は、こう思うときに確実に存在しているのだとは思う。座右の銘にはしたくないものだが…

 思えば高校時代の教員の言葉で印象深いのはこの人だが、もう一人、中学時代の教員の言葉で印象深いものがあり「私のゆく道迷い道くねくね、でも自分の道を信じて歩き続ければ必ず夢の頂に届くのです」等という言葉も心に残っている。あれは、生徒指導の教員だったか。あの時、二重三重も不祥事をおかし、死のうかなあと思っていたときに、この言葉を書いた色紙を手渡されて、思いっきり奮起した。いまでも、くじけそうなときは先の英文とともに脳裏に浮かぶ。ゴールを目指すときに、これほど心を保つ言葉は、今のところこれら以外には浮かばないだろう。

 私の中で恩師とは、決して向こうが意識して、信頼しあう関係ではない。常に逃向こうの信頼を失い、相手にされなくなるか。あるいは、私のほうから離れてしまう。左の定義では、私には誰一人恩師はいないかも知れぬ。しかし、それでもいつまでも心に残る名言を残せる存在が、まさしく恩師なのではないだろうか。借りてきた言葉であろうとなかろうと、それを与えてくれる存在がいてくれたことがまさに自分自身の幸運であり、大切な資源だろう。

 ちなみに、中学時代の「恩師」は、今年引退だそうだ。昨年、教育実習のご挨拶に訪問した際に、引退の旨を伝えられた。私は先の色紙のことが心に残っており、立ち去る際に万感の思いを込めて、感謝の言葉を伝えておいた。どこまでお心に残っておられたかは定かではないが、とにかく気持ちを伝えなくては後悔するとの思いがあったからだ。今年はいないはず。しかし、私も短い間でもいいが、子どもたちに良い影響を与える人間としてその場に存在してみたいと思う。

 あと数日。それを超えたら実習だ。頑張ろう。まだまだ人生は長い。