負け犬の遠吠え

自治体の採用試験を受け

帰宅したのち、半年ぶりに飲酒した。

 

我が家で飲むと言うのは実に虚しい。

私の実家は父を中心に病んでいる。

彼らの会話は常に後ろ向きで、人の可能性というものを前向きも捉えようとしない。敗者特有の負け犬根性が染み付いているのである。

働きもせず、学ぼうともしない人が世の中のことを語ろうと、ましてやどんなにコネクション(?)の存在を盾に自分の不遇を説明しようとも、単に能力が低く、それを乗り越えようともしなかった不作為の言い訳にはなりはしない。

彼らは努力したのかも知れない。しかし、同じ世代の誰よりもしょっぱい思いをし、全てを否定したがっている。成功したやつの努力は、運という変数を声高に叫んで否定し、自らの失敗は棚にあげる。

もっとも人間らしい。人間らしいけれど、成長する人間や繁栄しようとする集団にとって、この「敗者思想」は有害である。なぜなら、実経験に基づくこと何で、真理ではあるからだ。経験という真理を否定することはできない。

努力をしない人間はそれでいい。しかし、努力する人を否定する人間には断じてなってはならない。

 

敗者の言い訳を一通り聞き、私は耳を貸すのをやめた。自分自身が彼らのようにならないために。

 

彼らと私から始まる一族は違う。

私の一族は世のために人のために動き、幸福を追求できる。前向きに人の幸福を願い、手を差し伸べることのできる。そういう人間を生み出せる家庭にしなければならない。

それを実現する為に、私はまず、高収入とならねばいけないだろう。

子どもに教育と心許せる友人を提供するために。

もちろん、現在までに私を営々と育ててくださった本家への尊敬と感謝の気持ちは忘れない。ただ、真似はしない。

努力を尊び、繁栄を共に享受するための新たな一族を私は築いていくだろう。